Dec 14, 2017 11:06
ひー長々と続けてしまった。これなら今年の振り返りとして一つの記事にまとめればよかった。師走はもろもろ改まる季節ということでご容赦ください
ひー長々と続けてしまった。これなら今年の振り返りとして一つの記事にまとめればよかった。師走はもろもろ改まる季節ということでご容赦ください
家人が理想的なお手本&教官(私にとって)だったのも幸運だった。ここ近年で随一、学ぶところの多かった挑戦。やっぱり「それまでにあえて挑んだことのない領域」はハードだがその分面白さは底知れず。やってよかったですよー(私信)
「車を運転したい」というシンプルな欲求は残念ながらあまりなく、「車を普通に運転できる自分になりたい」一心で毎週末泣きそうになりながら乗ってきたけれども(こういうところが本当に面倒くさい)頑張ってきてよかったなあと切に思う…
いかに「考えただけの分析」「わかっただけの理屈」「知ってるだけの知識」が役に立たないか、車を運転していると毎秒思い知らされる。体が動かなければ意味がないのだ ❗ 泣いてもいいからハンドルを切るんだ!(誰)向かいのドライバ…
この「頭と心と体のバランス」については三兄弟のたとえにしたりしてずっと考えてきたのだけども、私の場合、「頭は三歩下がってちょうどいい」くらいに思い始めた。それを決定づけたのは、思いもよらなかったが車の運転だった
私は油断するとすぐ「頭>>>>>>心>>体」のバランスで選んだり決めたりしてしまうので、常にこう言い聞かせるのが有効なのだと思う。でも家人は心と体のサインが正常に働くタイプなので、この話をしても「……???」だと思う。で…
泣きながら進んでも、怖いと叫びながら足を踏み出してもええじゃないか。無理に平気なフリをしたり楽しもうとしたりしなくていいのだ。「泣いてしまうような状況の一歩外に出たい」と思えればそれでいい。「こんなの泣くほどの状況じゃな…
よほど大きな悲しみの場合は別として、ちょっとした落ち込みは、最初にちゃんと(?)動揺すると、その次に「落ち込みながらでも行動することはできる」と思えるようになる。気持ちと振る舞いが一致する必要はないというか(無理に分ける…
そんなのでいちいち動揺する自分の弱さがイヤなのかもしれないが、弱いものはもうどーしょうもないのだ(開き直り)。一度は部屋の中で一人ではっきり「イヤだ」「悲しい」と声に出すとよいと思う(未来の自分へ)。自分の声で聞くと「う…
他人(世間の常識)(の声を借りた自分の良識)が「大したことない」とか「甘えだ」とか「そんな暇があったら」とか言ってくるようなことでも、悲しいものは悲しいし、受けたショックは事実なのであって、それを平気なフリをするのは危な…