Emotional signals

目が冴えてしまった

自分と違う相手を前に、口にはしなくても(相手ないし自分を)否定せずにおれなかったのは、自分が(その価値観や意見において)まだ不安定だったからなのではなかろうか、と今にして思う。逆風が吹くと、反撥でしか立っていられないような頼りなさ。

感情の発露は私の場合、何よりもまず自分自身へのシグナルだなあ(詠嘆)としみじみ思う。もちろん、見聞きしたり触れたりしたことへの純粋な反応(喜怒哀楽とか)もあるけれども。相手に対して怒っているのか、それとも相手を見て自分が勝手に鬱憤を刺激されているのか、まだまだ混同しがち

そういう感情の扱いは、いろんな人といろんな状況で関わる場数を踏まないと、自分の内面のことではありながら、慣れられないと思う。ニホンザルの研究で読んだ、子どものころ集団で遊ぶ経験をしないとうまく成人できない(雑な表現だがご容赦を)という報告は、こういうことかな、と想像

自分は、特に幼いころ集団で遊んだ経験が乏しいから、「それさえあればこんな苦労をせずに済んだのでは」という妄想かもしれないけども。かと言っていま思い返しても、当時はあれが精一杯だったのだけど