Tales from Earthsea – Ghibli animation

家人が録画してCMを編集してくれたので、ひさびさにスタジオジブリ版『ゲド戦記』を手軽に繰り返し観ている。児童文学の金字塔を原作に持つ映像作品の宿命で、公開当時の評判は芳しくなかったが、私は自分に響くものがあったらしく、劇場で一人ボロボロ泣いていた。いま観てもつい引き込まれる

私は映画を観てから原作を手に取ったので、比較してあれこれ思うことから免れた。万人に届く面白さと深さ、という点では残念ながら洗練が足りない映画だとは思うが、個人の感動の度合いと作品の筋の完成度とは、実は大して関係ないのかもしれないな、と私はこの作品に教えられた

演出やストーリーの起伏、原作と併せ読むことに頼らず映画の中だけで要素を完結させる、という点では物足りなさは大きいが、それでも作品全体を覆う内面の虚無感は、寡聞な私の知る他のどの作品より切実で、私はただその一点に反応するのだと思う。ああ、そう、そう、その感じ、という安心

公開当時は、この作品のどこがこんなに特別な感じがするのか全く説明できなかった。いまこうして書いていると、壮大なプロットが今ひとつ整理されず、モヤッと縺れたまま幕切れを迎えること自体、虚無の渦中にいる人間の現実を如実に描いている気さえする(意図的ではないだろうけども)

思うに、この作品はある心的世界の切実な描写ではあるけれども、まだ慰藉まで昇華されていないから、広く長く届く力は持たなかったのかもしれない。でも私にとっては、下手な慰めや解決より誠実で良心的だった(それじゃかけたコストに見合わないという声が聞こえそうな気がするけれども)

俺はお前たちのような価値のない存在ではない、すなわち価値がなければ生きるに値しない、というクモの叫びは、彼に限ったことではない。他人に投げつけることはなくても、その鞭で自分自身を絶えず打つことだってある。それに抗う命の叫びはいまの時代、アレンやテルーのように、弱くか細い

私には魔法で鍛えられた劔も、突如として龍に変わる力もない。でも、土を耕し、服を縫い、毎日の糧を炊くように地道な歩みを重ねた先に、それに匹敵する強さを持つことができる、と信じることが今はできる。その気持ちを手放さぬために、今日も地道に歩まねばと思うのである