Escape from an obedient child

自分にはずっと「(何となく醸成されたイメージに基づく)いい子でいなければならない」という強迫観念みたいなものがあって、まあ子ども時代はそっちの方が明らかに都合が良かったんだけれども、成人してだいぶ時間が経つとむしろいろいろ不都合を来すということを実感している

「(自分にとっては)これさえ押さえておけば大丈夫」というような方法論を、つい無自覚に求めがちなんだけども、人生のある時期(ある時代)は確かにそれで盤石に通用した方法であっても、環境が変わり、自分が変わればそうもいかなくなってくるのは考えれば当然の話なのであった

考えれば当然、と言いはするものの、ではすぐに納得して行動が変わるかというとそうもいかないのが自分の哀しさ。とくにその方法論に従ってきた時間が長ければ長いほど、それは習慣や体癖として深く染みついているわけで、変えるのは並大抵のことではないなと途方に暮れる

変化が激しく先行きの見えにくい時代に人生の時間が伸びるということは、そういうしんどさも増える、ということなのかもしらん。死を歓迎できないのは生物の本能として避けられないことだろうけども、長生きが良いことづくめとも言い切れない、この世界の摂理

いい子であらねばならないという方法論に長く浸かってきた私は、自分に欠陥やロクでもない部分が(大いに)あるということを、頭では言い聞かせてもなかなか心底受け入れられないのである、おそらく。自分の振る舞い次第でちょろまかせる、と、舐めたことを考えている、多分。

だからあれこれ理屈をこねる前にさっさと行動に移して、自分の認識と、現実世界の反応のズレとをちょこちょこ是正していく方がいいよなと考えるようになった。頭で「そっちが当然」と分かったつもりになっても変われないのなら、身体で思い知るしかなかろうという発想

動き回ってあちこちぶつかって転んで擦りむいて、は痛いしカッコ悪いし恥ずかしいし、いい子のままでいたいなら耐え難いことではあるんだけど、でもそこにしがみついてたってじわじわダメになっていくだろうと実際に肌で感じているから、それならどっちを選ぶんじゃという話である。

進んでも茨の道、止まっても針の筵。退路はない。それならせめて景色くらいは変わる方がいい。その辺は子ども時代から考えは変わらず、むしろ早い段階から鍛えられてきて良かったなと、今にしてようやく思う。しんどさからは逃れられない、ただしんどさの種類は自分で選ぶ余地があると考える

この世にある人生全部がそうなのではなく、自分の人生がたまたまそういう色合いだったというだけで、それならそれを引き受けるしかないのである。任された(授かった)人生なら、自分なりにそれに精一杯誠実でありたいと願う。あとは行動あるのみ

というわけで手帳オフ会など勢いで企画してみましたけれども、どうなることやら(前振りが重いわ)。とにかく目の前のことを頑張ろう。怖いけども。何となく新年の抱負としてここに書き記します。お互いぎっこんばったんやっていきましょうぜ