Hasty conclusion

COVID-19 がきっかけで考えたことの一つに「自分のバイアスの強さに気づいた」というのがあると書いたけど、このバイアスを招く根元にあるのは「早く結論を出して安心したい」という心理なのかもしれない、と考えたりした、うだるような夏の夜。

自分は結論を急いで安直に判断したりしない、と思いこんでいたけど、そういう猫の皮もこういう事態で恥ずかしいほど露わになるなあ。ことほど左様に、今回の COVID-19 による私の不安は大きかったということなのだろう。

どんな非常事態も頭では漢字4文字に集約され、それに連なる自分の反応も想定内だと思いこんでいる。感染症の流行も、これまで(種類は違っても)毎年のように身近にあったから勝手が分かったように思っていたけど、程度が甚だしくなれば、自分の反応が狂うということは普通にあるわけだ。管理された日常だと、程度が甚だしい事態そのものが劇的に減るから、常ならぬ自分にお目にかかる機会が激減するだけで。

大量の情報は、不安と苛立ちを助長するだけかもなとも思う。それに太刀打ちできる自分の器がないと、とても収めきれずに押しつぶされてしまうのであろう。情報との付き合い方もいろいろ考えさせられている。