Onion skin

玉ねぎの皮は、剥いても剥いても皮ばっかりで中身が見えてこず、気がついたら何も残らなかった的な例え話に用いられて知性とか教養を揶揄されがちだけど、案外内面なんてそういう薄皮の集積なのかもしれないよな、と思う蒸し暑い曇りの日。

それぞれの薄皮には、例えて言えば色彩や模様があって、厚みや質感もそれぞれで、しかも透明度があったりして、重なり方や光の加減で見え方は千変万化するのかもしれない。見る方にも色眼鏡があるから、それはそれは豊かな表出のバリエーション。

有機的な皮の集合体だと想像すれば(図柄によってはグロテスクかもしれないが)、自分を変えることも大変だけど不可能ではないという気がする。こうありたいという理想に向かって努力することはできても、その結果を(とりわけ人からどう見えるかということに関して)完全にコントロールすることは不可能だと理解もできる。

虹色の玉ねぎ、がコロコロと集まったのが社会、だと考えるとちょっと楽しい。