私にとって「変わる」ということはほとんど希望と同義である。この苦しい状況から抜け出るために、変わることだけが最後に残された選択肢であり自由だと、気がついたらそれが行動の規範になっていた。そう思っていても、変わることはたやすいことではないけども。
ここ数年——ほとんど COVID-19 の厄災と時期を重ねるようにして——自分のうれしくない状態を変えようとジタバタしてきた。そして、ようやく変わってきたかもしれない、と感じるようになったとき、「そこは別に変わらんでもよかったけどな」と思うところまで変わっているらしいことに気がついた。それまで問題とも思わず、むしろ快適さや楽しさもあり、そのままで続いていくんであろう、そうあってほしいなと願ってさえいたようなことが、突然、そうではなくなっていた。
そのことに気がついて、「ああ、本当に変わったんだ」と思った。自分の想定やコントロールを超えたところにまで力が及んでいる、とわかったときに、本当のうねりが起こっているのだと実感が湧いた。かつては喜ばしかったこと、必要だと思っていたこと、それがそうでなくなるということは、寂しくはあるけど、それでこそ、と、不思議に満たされる気持ち。
その一方で、どうやら変わらんぞ、ということも同じようにある。付き合っていくしかないんだろうな、という諦めに似た気持ちと、今回の変化でも残ったな、と確信が深まる感じ。まあ、これまで何度もやめようとして、それでもやめられずに今があるから、これからもそれを繰り返していくんだろうな……
ニーバーの祈りのことを考えたりなど。
変えられないものを受け入れる力を
かなじい意訳
変えられるものを変える勇気を
それらを見分ける賢さを