Are you creeped out ?

人生においてスピリチュアルはどのくらい重要ですか ?

私は目に見えないことや人知の及ばないこと、制御できないことの方がこの世界の大半を占めていると認識する方が安全だと思っている(し、楽しくもある)ので、それでいうなら人生大半がスピリチュアルの範疇だろう、と言えなくもない。

スピリチュアルの文脈も、人間が読み解こうとするものだから、とどのつまりは、見えないものや理解らないものも、根拠なく我々に悪いことはしないよ、と信じたがっているようにも取れる。エリザベス2世が崩御したとき、バッキンガム宮殿に虹がかかったのを感慨深く見上げる気持ちは、別に危険でも不快でもないと思う。

何かの偶然や事象を吉兆に結びつけて解釈しようとする姿勢は、この険しくままならぬ人生を歩むのに、多少あっても悪くはないであろう。私自身はそういう話を読んだり聞いたりするのは嫌いではない。人間というのはおそらく大半が、よくわからぬまま、どうなるか見えぬままで放置されることに耐えられない。私はこの数年の感染症の流行で、自分のそういうところをいやというほど実感させられた。信を置く先が、論理的説明か、スピリチュアルという体系か、宗教か、それともお金か、人の温もりか、程度の差である。

論理的説明は応用力や安定感があるが、及ぶ範囲がごく限られている(というのが、この世界の大半がよくわからないものだという認識に立脚した私の意見)。スピリチュアルの体系はよくわからないものに根拠のあやふやな(でも受け入れやすい)説明をつけるから、わからないままだが、なんでも説明できそうな気になる。宗教もしかり、長い時間に耐えて文化や経験の蓄積があ(るものもあ)ったり、志や教義を共にするコミュニティがスピリチュアルとの違いか。お金や人の温もりは、手で触れられるという感覚の確かさが、言葉や感情を超えるところがあるのだろう。どこに安心を感じるかが人それぞれだと思うが。

ただ、わからないものは基本、わからぬままなのだということは忘れない方がよいと思う。それをなんとか普遍に共通するものを取り出そうとする不断の試みが科学的アプローチだと思うから、スピリチュアルに興味があっても、そっちに対する敬意は払いたい。どっちに偏っても、一面性に陥ることになる。正義ではなく、唯一の真理でもなく、得意不得意があるだけだ。

スピリチュアルも(単に)世界を構成する一面である。スピリチュアルに限らず、ゴリ押しや強制は嫌い。いいと思えばいいと言い、イヤだと思えばイヤだと言う、その自由が重要だと思う。