簡単な話だ。日記がある一定以上書けないのは、まとまった文章を全然読んでいないからだ。何かを伝えようと、まだ形のないものに必死で形を与えようとする書物に接するのを避けるようになってどれほど経つだろう。
と、梶井基次郎の檸檬を書写していてハッと気がつく。ものすごく短い短編なのに、この程度の分量さえ、創作物に接していなかった。うああああああーーーーーーーそりゃあ書けなくて当然である。
作るってどういうことか忘れていたかもしれない。いや、未だに何も知らないのかもしれないけど、あまりに長く他のことを考えすぎていた気がする。
逃げるのも休むのも、もう十分やり尽くしたのかもしれないよ。