Dissection

日常の振る舞いだけ見てると取り違えやすいけど、人間関係に作用するベクトルが正反対の姿勢を、どうにか精度高く区別できないか、と思って腑分けするのが好きだ。(人によってはものすごい徒労に見えるかもしれない)

前日投稿した、執着と愛情の違いがそうだし、謙遜と卑下(卑下より卑屈の方がいやらしい響きがあるよね私だけかしら)とか、叱ると怒るの違いとか。間違えるのと悪いことをするのの違いとか。

私が一時期やたら繰り返し観ていた Major Crimes というUS制作の刑事ドラマがあって、その中の一話で養子のラスティが、無知ゆえに裁判で検察側を不利にしかねない大胆な行動を取るんだけど、そのとき養母のシャロンが落ち込むラスティに「間違いはしたけど悪いことはしてない」と声をかけるのに痺れたのだ。

ただでさえ忙しくて緊張の続く仕事の最中にいらん迷惑を被って(しかも自分の仕事を台無しにされそうになって)、こんな風に言える家族ってなかなかおらんで……と感嘆すると同時に、そうか、間違いと悪いことって違うんやな、と、パッと目の前が開けた感じがした。

管理したい側は、管理したい対象が自分にとって面倒な間違いを犯したとき、それを「悪いこと」として封じ込めようとしたりするよね……と思うなど。まあ、その管理したい側にとっては自分を邪魔する振る舞いだから実感としては「悪いこと」なんだろう。でもそれは「(自分にとって都合が)悪いこと」なんであって、それを相手の反省によって排除しようとするのは、それこそ間違いを犯してるんじゃなかろうか。そしてその間違いを半ばわかってて管理するのに濫用してるなら、その態度はもはや悪いものに転じてしまっているのでは。

……とか考えるのが好きなのだ。人を利用する人ほど(それが立場によるものであれ個人の欲求によるものであれ)、こういう微妙な違いを巧妙に駆使して相手を追い込む傾向があるから(それくらい有効な手口であるとも言える)、こういう違いに敏感になってくると、人付き合いの中でただ流されてほぞを噛むんじゃなく、「あれ?」と踏みとどまるチャンスが増える、気がする。それを相手に丸出しにするかどうかは別として。