Ain’t getting over it

Dua Lipa はその佇まいも振る舞いも声も、もちろん曲も好きで、見ていて気分が良くなるアーティストの一人。不動のスターになったから、YouTube でたくさん動画を観られてうれしい。

その彼女が Lie Detector(嘘発見器)を装着して質問に答える、という、ファッション誌の人気企画に出ているのを観た。うふふ、下世話……

質問の一つで、大ヒットした “New Rules” という曲の歌詞の一節に触れている。英語の会話に日本語でも字幕がついていて、意訳ではあるんだろうけど、「そんな際どい意味やったんか」というのと「デュアリパみたいな子でもそんな経験をするのか」というので軽くショックを受けるなど。

If you’re under him you ain’t getting over him

“New Rules” by Dua Lipa

がその歌詞の部分。私はこの夏、人生で初めてのRPG(ゲーム)に手を出して、自分で知らなかったいろんな感情や反応を怒濤のごとく経験してるんだけど(端的に言ってゲームやりすぎ。RPGこわい)なんだかゲームとの付き合いに対しても含蓄があるな……と感じたのだった。

どんな人気者やビッグネームと付き合ったとしても(私にはそういう体験はないけど)それが自分にとって幸せな/満たされる恋愛とは限らないと思う。人間関係ならわりとスムーズに想像できるこのことが、ゲームとの関係でも言えるのかも?と思ったのだ。

ゲームは、プレイの楽しさやキャラの魅力、ビジュアルの作り込みなんかにすごい資源を投入して作られるものだから(ものすごーーく悪意のある言い方をすると、中毒性を持たせる工夫が凝らされているから)ついつい続きが気になってやっちゃう、んだけど、やってて楽しい!満足!で終われるものと、なんだか違和感や苦痛がある(別に鬱展開とかではなくても)のにやってしまうものとあるんだろうな。当然か。

人間が相手なら当然と思うことでも、ゲームだと「自分の意思で(付き合い方は)どうとでもなる」と思ってしまって、あんまり意識しなかったのかもしれない。

どれだけビッグタイトル(それを楽しんでいる人がたくさんいる)でも、自分に合うとは限らないし、合わないことを引け目に感じる必要もどこにもないんだよな、とあえて言葉にしてみる。

デュアの歌詞の字幕には「彼と別れたいなら、寝るのをやめなきゃ」という訳がついてた。ゲームに関しては「やめたいなら、やるのをやめなきゃ」という、なんかトートロジーみたいなことになっちゃうけど、関われば関わるほど、あんまり自分のこと好きになれなくなっちゃうんだよね……と思うものからは、やっぱり距離を置くべきであるはずだ。

私は「やらないといけないことたくさんあるのに(やっててなんとなくスカッとしない)ゲームで時間を溶かしてしまう」という愚かな問題が発生したから、なんとか自分で納得できる理由を得てゲームと距離を取れるようにしたい!という考えに至ったけど、これ歯止めがないとわりとヤバかったんじゃないかと思う。

自分にとってあんまりいい影響がないけど離れられない関係って、それなりの理由もあるんだよね。一番は、いまある不快や倦怠感や虚無を、それだけが紛らわして/忘れさせてくれる、ということだと思う。自分の意思ではどうにもできないそれらの厄介な荷物と、そこに拮抗する快楽(あるいは安楽)ってすごい力だなとしみじみ。強い力に近いものと付き合うには用法用量を精度高く見極めることと、自分を過信しないことが大事だな、と思ったのであった。