個人的に、内面変革の波が起こっているここ数年。タフである。これがパラダイム変換というものか……と思ったりしている。パラダイムとはもともと科学的モデルという意味で、現在ではその解釈が広がって「思考の枠組み」的な用いられ方をすることが多い(私による勝手な要約)、とJapanKnowledge 掲載の日本大百科全書(中山茂執筆の項)で解説されていて、わかりやすい。
パラダイム変換って、言葉だけからはなんとなく、スイッチがぱちっと入って、人物以外の背景がガラッと変わるようなイメージを持ってたけど(アニメかよ)、実際に自分が「そうかも?」と思う状況に身を置いてみると、一瞬の変化なわけないし(変化が大きければ大きいほど時間もエネルギーもかかって当然なのだ)中の人間はただボーッと突っ立ってればいいわけじゃなくて、自分がバランスを取れる地点を、状況が変わるたびに必死で探し歩く感じ。最初はサーフィンに例えようかと思ったけど、もっと小刻みで、縦横無尽に飛び移る、という方が合ってる気がする。抱えてる、あるいは背負ってる荷物もわりと大きいし。
どの道が正解か、どころか道らしい道なんて見えないし、落ちるかも!という恐怖を凌いで大きく跳ばなきゃいけないときもあるし、ときどきすっ転んで膝や肘を強打するし(でも小さくコケるから大きく飛べるのでもある)自分の重心がどこにあるのか(これもそのときどきで違うんだ、厄介なことに)始終探ってないといけないし。そして自分がどう進むかで、行き先自体の形が刻々と変わるという……
自分だけならまだ自分で納得もできるけど、深く関わる誰かがいると、楽さもしんどさもガッツリ増えるよね……
国や民族のレベルになると、なんかもうどうすればいいんだろうな本当に。自分にできることしかできないけど、自分の視野の範囲も、手の届く距離も小さすぎて、とほほとなる。