What are the SDGs?

機能的には必要十分で、大量のデータを保存するだけなら外部拡張の手段もたくさん選択肢があるのに、パソコンやスマホを購入してから何年か経つと、至る所でOSやソフトウェアに「アップデートが必要です」「お使いの環境ではこの機能はお使いになれません」「はよう最新版に替えなはれ」と怒られるようになる。

かつては私もそういうIT業界の隅っこでもぞもぞ労働していたので、そのとき相手(同僚や取引先やサービスのユーザーの方々)に偉そうに言い放っていたことと180度方向転換してるのが居心地は悪いのであるが、そろそろこのビジネスモデルはもういいんじゃなかろうか。

私はiPhoneが日本発売された日に、有休を取って列に並んだほどには「アップルが作る携帯電話」を歓迎していたクチである。新製品の発表のたびに心踊らせるほどの信者ではないにせよ、大学時代にパソコンを使うようになってから、自分で使うマシンは全てMacを選んできた。今はもうMacもWindowsもChromeもOSの操作感に大差はないのかもしれないが、Mac OSのデザインが(その考え方が)好きだったのだ。

でもiPhoneを使い始めて数年も経つと、「使わずに済むならスマホを生活からなくしたい」と言い放ち、同僚をビックリさせた。仕事やストレスを隠れ蓑に、行動に移す勇気は今日までついぞ出せないままだが、御多分に漏れず、スマホに依存して振り回される自分に辟易している。なくしたいと思っても手放すのが怖い、と思わせるスマホが怖い。人生の半分以上はスマホなしで過ごしてきたはずなのになあ。

筐体はどんどん高価になり(大多数の人の手に行き渡って、もう爆発的には売れないからかも)機能のアップデートといっても「あってもなくても」感が強くて、存在感を維持するために作っているように見える。新商品出さないと忘れられる、という焦りは、しがない個人事業主でも、世界を動かすと見なされているメガ企業でも同じなんだろうか。そう考えると滑稽なような、恐怖なような。

こんな高い製品を、数年おきに、機能的な必然性もわからないのに買い替えを強いられるって、マジでなんなの?と、「目新しさ」にちょっと飽きてきたいちユーザーは思うのであった(高すぎてホイホイ買えない負け惜しみ、かもしれない💀)