Regret about what I said to the colleague

先日の、本の形態に関する呟きについてごちゃごちゃ書いてしまった件の知人であるが、そういえば私は、(その瞬間にすごく気になったとはいえ)お子さんの名前に難癖をつけるようなことをさらっと言ってしまったことがあるのを思い出した。なんという無礼、というか思いやりのなさ。自分にがっかり

自分に非があるのに往生際悪く理屈をこねるのはみっともないの極致だと承知で、でも書くが……(そういうことするからしまいに注意もしてもらえなくなるんだぞ)普段から、相手に「ちょっと自分を損ねられてる気がするなー(しかも相手に悪気はない=抗議しにくい)」とボンヤリ感じていると

相手が格好の隙を見せたとき(言い方!)ほとんど無自覚にそこを突いてしまう根性の悪さが自分にはあるな……と思った。ある種の返報性と言えるかもしれない。ただし、原因は向こうより、自分の側にあることが多いのがミソ。弱さや醜さを無自覚につつかれるから、損なわれてる感じがするのかな

でもそんな根っこの原因には目もくれないで、「やな思いさせられたから同じ思いさせてやる」という幼稚で乱暴な衝動が自分にはあるということだ。しかも表向きは飄々として無頓着に見えるくせに、巧妙に隠してる(と自分で言うところは甘いが)から余計始末が悪い。

だからといってただ我慢、も現実的ではなくて、ていうか意識してないんだから我慢のしようがない。後になって、「なんか相手を傷つけたよな……」という心地悪さから、自分のしでかしたことに気づく。

ほなどうするか。その前の「なんか損なわれた」という気分を無視しないことかな、と思う

なんかムシャクシャする、と、部屋で一人、声に出すだけで違う気がする。笑って聞き流してくれる家族や友人に吐き出せれば一番いいんだろうけど、微妙すぎてその気になれないこともある。それでも「キーッ 😈 」と頭をかきむしったらなんかスッキリしてると思う

ま、私にはそういうのが累々と吐き出されてる毒々しいノートがあるわけなのだが……精神衛生を保つ、とはつまりそういうことなのかなあと思う。受けた感情に、良くも悪くも落とし前をつけたがる自分というものの取り扱いには、歳をとったからこそ気をつけないとなぁと思うのであった