凄惨な状況や人間の愚行を知って傷つき、落胆し、気分が塞いでも、夜は明けて次の日はやってくる。前の日に悲しんだ事象を脇に置いて、ケロリとした顔で日常を営む自分に恥ずかしさを感じたりもする。
でもその恥ずかしさを抱えて、毎日を誠実に生きるしかないのであろう。『幸福論』を著したアランは「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」と言ったそうだ(受け売り)。励まされる言葉だ。いかなる誹りを受けようと、私は希望を信じ、自分と世界を慈しむ心がけでいたい。まあ、ちょっと寝不足になっただけでこの世の全てに毒づいてしまったりするけど 😛