Nice to read you again

depression かどうか判断する材料の一つに「本が読めなくなる」というのがあるのは以前から知識として知ってはいたけど、実際に体感するならもうちょっと病的といおうか、読んでいて感情の起伏が尋常でなかったり、文字が目で追えないというのも、目で追ううちに酔ってきたり不快になったり、もっと自覚的なものだろうと想像していたのである。

ここ最近、本を読めるペースが上がってきたな?と気がついて、そうか、自分はもしかして、ここまで長らく depression の中にいたのかもしれないな、と思った。その最中には「単に本を読む気にならないだけで、そういう時期なんだろう」程度に思っていたけど、なんだ、あれが本を読めなくなるという状態だったのだ。

今は、読みたいなと思った本を手に取ってページをめくると、しばらくの間は集中力を保てるようになっている。depression の間も、ネットの記事やSNSの言葉、コミックエッセイなんかは読むことができていたから、大した問題じゃないと思っていた(という体験談を、そういえば少し前に Twitter で目にしたことがあったはずだった)。ネットの記事にはそれなりに長さのある、論理的と言って差し支えない文章で構成されているものもあったし、自分では大丈夫だと信じ込んでいたのだった。

でも今、本を読めるようになった自分に喜びを感じている。その力を一時期失ったことに気がついていなかった。複雑で分厚い本を読み進められないとき、これは加齢による衰えというものかもしれないな、と思ったりもした。でもそれだけではなかったようだった。失っていることに無自覚だったという事実にゾッとするが、気がつくことができてよかった。

『リヴァイアサン』を読むのが辛かったのも、だいぶ力が落ちていたせいもあるのかしら。でもあれを再び一人で読み直す気にはまだならない。