self-censorship

2022年8月分の日付シートから、智文堂WEBの記事でも販売を開始した。「ここから先の閲覧は有料」という、ペイウォールと呼ばれる方式で、自分のサイトにこの仕組みが使えるということだけでちょっとウキウキした。うふふ。導入はとても簡単で助かった。

日付シート記事の有料部分に、近況報告のような長文を書いた。誰でも読めるエリアに書くのがためらわれる、ちょっと個人的な内容だった。ペイウォール方式を導入したのは、こういう種類の記事を書く選択肢、つまり自由を持っておきたかったというのも理由の一つ。

例えばちょっと混雑するイベントに出かけて、大変だったけど有意義だった、という近況は、COVID-19とともにあるいま、何も気にせず書くのはちょっと難しい。あるいは読んだ本について話そうとすると自分の個人的な来歴が濃く映し出される場合(私のように読む冊数やジャンルが少なく、時期によって偏るとどうしてもそうなる)、誰にでも読んでほしいわけではない。誰にも見せない日記帳に書けばひとまず気がすむだろうと思っていたが、それも長く続けて限界がきた、というか、悲しい人間の性、飽きたのである。

人に話を聞いてほしい、という欲求は、こういう状況が長く続くせいか、私でさえ強くなっているような気がする。身近な人と深く話すほかに、ゆるい関わりの人たちと、自分にとってはそれなりに大切な話を、だが他愛もないものとしてやりとりしたい。お互いに敬意を持ちながら、さほど深刻にならず、流れるように話をしたい。

有料記事で一方的に読んでいただくという時点でそれは勝手な押しつけなのだが、少なくとも日付シートの記事を書いたことでずいぶん気持ちが楽になった。「これは書いてはいけない、これは書くのが難しい(見知らぬ誰かを強く不愉快にさせるかもしれないから)」という自己検閲が、知らずこんなにも強くなっていたんだな、ということを実感した。それが思った以上にしんどいことだということも。

自分に覚悟が足りないだけだ(書きたいことなら嫌われることを恐れずに書け)と叱咤するのは明快だが、それだけだとその先にあるのは単なる思考停止である。覚悟があればできる、足りなければできない、では何も変えられず、二項対立で終わる。そんなに単純では面白くなく、どんどん元気を失ってしまう。それは避けたい。だからちっちゃく試行錯誤を進めたい。現に、そうした結果(考えもしていなかったが)この日記の更新も少し復活した。書きたいことを書いていいんだ、と思えるようになったおかげかもしれない。

気合いだけでどうにかなるほど、いまの状況は易しくない。気合いモンスターだけが生き残れる世の中だとは認めない。折れず潰れずに今日を乗り越える方法を、しぶとく静かに模索したい。