As far as I can go

たかだかタイトルの一文程度でも、英語にしようとするとあれれ、と詰まる。今回のは「行けるところまで行く」。なるほどそう書くのか、という感じ。自力で書いたとしたら Go to the point where I can go とか鈍くさい文章になっていた。

大阪に勤めていた会社員時代、同じJR神戸線を使っていた先輩から、運転見合わせが発生したら(京阪神間の鉄道会社の中でJRは群を抜いて運休や遅延が多かった。まあ路線長ゆえに影響を受ける範囲が広いから仕方ない)、各駅停車でも動いている便があればそれに乗って、できるだけ神戸に近づくようにしているという話を聞いたのが印象に残っている。

迂遠すぎて話の枕になってないけど、それって普段の生活にも通じるなあと思う今日このごろ。私は同じ作業ならできるだけまとめて済ませたい気持ちが強いあまり、ひどく疲れていたり気力の湧かないときに作業が終えられないと判断したら、反動?で一切手をつけずに放置してしまうのだ。ザ・極端。

それを、洗濯物ならタオル一枚だけたたんで、台所の洗い物なら鍋一つだけ洗って、と、どんなに小さくても一つだけでも進めておくと、数時間後の自分がものすごく助かるのだった。

普段の生活の姿勢には、(1)要は後回しにしてまとめてこなすパターンと、(2)そのときどきでちょっとずつ進めるパターンがあると思う。もちろん後回しにせず先にまとめられれば理想ではあるものの、ままならないことも多い。

どっちを選ぶかは思考の癖なのかなと思う。私はまとめたさが勝ってしまってすぐ(1)の発想になるけど、少し(2)も取り入れたくなっている。

(1)だと、自由時間もまとめて得られるようだけど、いざまとめてやろうと腰を上げるとき、ものすごい気合いがいる。しんどさに暴利がついているのである。しんどさの振れ幅が大きいと疲れが増幅したり、なかなか動き出せなくて自分を責めるという悪循環に陥りやすい。

一方で(2)は、常にだらだらとやることに追われるようでいて、そのときに入れる気合いはわずかで済む。家事も仕事もどうせ際限がないのだから(ということをようやく学んだ。遅すぎ)気合いをかき集めなくても物事が進む方が長い目で見て助かる。

全然大したことを書いてないのに、書いても書いても文章がわかりやすくならなくて疲れた。もっと気楽に書く場所のはずじゃなかったのか。