昨日の続き。
自分の正義で他人を断じることができるのは、突き詰めると「俺スゴイ、お前ダメ」の発想があるからだと思うんだけど、自分の正義や善意(と信じてたもの)がそれを向けられた相手にとってはほとんど災いでしかない事実を知ると、これまで自分が「お前の正義はひとりよがりじゃ」と青筋を立てていた相手のことを思い出して、「ああああああブーメラン」と悶絶することになるわけである。羞恥。
それが落ち着いたら「(私が正義を振りかざした相手も、私に正義を振りかざした相手も、私自身も)似たり寄ったりやん……」という気分になってきた。お互いさま、と言ってしまうと「俺スゴイ」はキープしたい厚かましさが鼻につくが、「目くそ鼻くそ」と思えば少なくとも、「俺スゴイ」てのは粉砕される。すごくもなんともねーよ。と過去の自分に説教したい。
断じることができるのは、ものすごく単純な物差しを一種類しか持っていない、ということでもあるな。それ差別と偏見の温床やん。やっぱり「自分は大丈夫」と思っている人間が一番タチが悪い、ということを、自分自身で証明してしまった。恥とショックのダブルパンチ。
魚を捌いてると、鱗取りってけっこう大変だから、目から鱗が落ちるというのも、手垢のついた表現だけど、言い古されているほどには簡単なことじゃないんだなあと、いまさら思うなど。少なくともコンタクトレンズのような容易さ、あっけなさのはずがない。
謙虚の道を進むには、恥の山を繰り返し越えなければならないのかもな……人生てのは甘くないんだぜ。