A certain laziness

「柳の下のドジョウ」という諺について書こうとして英語の表現を調べたらいろいろあった。

  • Good luck doesn’t always repeat itself.
  • There are no birds of this year in last year’s nests.
  • You can’t make soufflé rise twice.
  • try to catch lightning in a bottle twice

バリエーションとして、Who’s saying lightning can’t strike twice? というものも。

そもそも、最初「二匹目のドジョウ (1)」という言い回しだと思っていたら、Mac バンドルの辞書(大辞林とODE)には「柳の下にいつもドジョウはいない (2)」しか掲載がなく、Japan Knowledge で引くと (1) は (2) から派生したものらしい。知らなんだ。そして私が書きたかったのは (1) の方の話なのだ。(前置きが長い)

河合隼雄は日本の昔話を引いて、「欲深じいさんが正直じいさんの行動を真似して破滅に陥るのは、人生を自ら創造する努力を怠けたことの顛末だ」(記憶に頼っているので意訳)ということを述べているが、それは自分の毎回の行動にも当てはまることだなと思うなど。

何を言いたかったかって、Myléne Farmer の大好きなライブビデオに合わせて両手を振ったら肩こりに劇的に効く!と発見し、その翌日も同じ効果を期待して同じようにやったら思ったほどでもなかったという話(くだらなすぎる)。いや、ライブビデオも、腕を大きく振るのもいいんですよ。ただ、そのときの体の状態に合った負荷をかけることが必要で、たった一つの方法を機械的にやりゃあいいってもんじゃない、ということだ。

肩こりの解消は(長年放置しすぎたツケもたまって)切実な問題なので、これまでと違う変化があるとつい安易に飛びついてしまうんだよね。反省。地味にほぐし続けるより他に道はないのであった。