P.S. dictionary 3

以前記事にした、希望と期待はぱっと見(自分の中の感覚として)似ているという話の補足。

自分で混同していても、いずれ見分けがつく日が来ると思う。

期待で動くと、遅かれ早かれ息切れする。ふくらんだ期待が叶えられずにしぼんだとき、憤りに近い失望を味わう。その失望は、「自分を裏切ったように見える相手」か(往往にしてそれはこっちが勝手に期待しただけなんだけど)、あるいは「その期待が叶えられるほどの価値がないとしか思えない自分」との断絶を招く。

希望なら息切れすることはない。自分の中の納得から湧いて出てくるものだからである。強い鼓舞ではなくても、そこに光があると信じられれば、一歩を踏み出す勇気が出ることもある。希望とはそれくらい控えめなものでもあると思う。

期待はリードで引っ張られる感じ。希望はそっと吹く追い風のような感じ。

期待は具体的。こういう表情、こういう言葉、こういう展開、こういうご褒美。無自覚だけどありありと胸の中にある。具体的すぎて、手に入って当然、どころか、まだ手に入ってないなんておかしい、とさえ錯覚してしまう。

希望はつかみどころがない。なんとなく明るく、なんとなく温かい。気をつけていないと見出せない。簡単に見失ってしまう。だけど常にそこにある。自分が感じようとするか、見ようとするかだけである。

書けば書くほど違いは歴然としているようなのに、でも期待を希望と勘違いしてしまうんだよなあ、とくに人間関係で。書いても書いても忘れてしまうから、どれだけ失敗しても考えようとしてるんだぞ、ということをこうやって残しておく。